google-site-verification: google8e5924af78b7cebf.html 私の飲酒歴 | 52歳で禁酒、54歳で禁煙に成功 生まれ変わったこの人生

私の飲酒歴





 

飲酒のキッカケ

小学生高学年の時、法事があり親戚の方々が一席設けておりました。そのときある叔父さんが

「おい、ビール一杯飲んでみるか?」
と明らかに酔った勢いで私に勧めてきたのです。私は興味本位で飲んでみると、なんと一気に空けてしまいました。
「おっ、飲める口やな!これは将来が楽しみや」なんて言われて、その気になってしまったのです。

今から思えば、この時をキッカケとして私の体の中にアルコールの「小悪魔」が入り込んだのです。


ワンカップ大関

その後大学時代、寝苦しい晩には「ワンカップ大関」を買いに近くの自販機へ行くようになりました。最初は、ほんのたまにって感じだったのが、だんだん常習化してしまいました。

 ワンカップ大関がないと眠れないという日があったものの量的には1本だったので、「酒は百薬の長」だと自分に言い聞かせてながら飲んでいました。でもまだそんな年齢じゃないやろうって・・・。

 テスト勉強の後にちょっと一杯ひっかけてから寝るって、その辺のオッサンみたいでまるで学生とは思えん生活してました。

 

○夢遊病

それと幼いころから「夢遊病」の気があったらしく、それはアルコールが入って酔っぱらった私をよりいっそうおかしくさせた様です。

 例えば、宿泊先の部屋での就寝中、尿意をおぼえた私はその部屋のタンスを便器と思い込むクセがあったそうです。全く記憶にはありませんが、どの様な光景だったかはご想像にお任せします。

 

一人暮らし ~休肝日はなし~

大学卒業後、商社に就職し大阪の親元を離れ福岡勤務でした。初めての一人暮らしです。もう誰から止められることもなく飲み放題です。

歓迎会でけっこう飲まされましたが「私は底なしですよ~」なんて周りの人に豪語していたくらい自分では自信がありました。しかし、九州の人はみなさん強いですね。完敗でした。
特に焼酎。私はフラフラなのに、他の方々は豪快に笑っておられます。ある種のカルチャーショックを感じたものです。

そして仕事帰りには「一杯行きますか!」の半強制的なお誘い。2回に1度参加される方が多い中、私は毎回参加してました。結局週に3,4日外で飲み、自宅ではまた一人酒。休肝日なんてなかったです。

 

スーツに「血」

飲み会のあったある日の帰り道、よろけながらも自宅に無事戻り、いつも通り寝床に入った(という記憶はなかった)のですが、翌朝着替える際、ふとハンガーを見るとちゃんとスーツが掛けてある。

「ほ~、まともや!」
と一瞬自画自賛したのですが、よく見るとスーツの袖に何か赤いものが付いている。そうです、「血」でした。

「昨晩、一体何があったん?」何も思い出せず不安を抱えながら、そのまま出社。

「おはようございます。」
元気に挨拶するものの、周りの方々の目は複雑な色をしていました。
そして隣の部署の次長さんが「ま、気にせずに」なんて言葉を投げかけてくれて・・・。ますます何があったのか不安になりました。

後日、勇気を出して上司に聞いたところ「同席していた係長と外へ出て取っ組み合いをしていた。君はお酒を飲んで「第4コーナー」を回るとカクンとなるね。」と言われ、私は「自分ってお酒は好きなだけで、ちっとも強くないんやな。」とその時はじめてわかりました。

アル中の始まり ~迎え酒~ 

でも本当に九州の方々は豪傑というか、お酒に対して寛大ですね。
慰安旅行で2日目の朝、二日酔いで苦しんでいる私を見て、あの隣の次長さんが手を差し伸べてくださいました。

「これを飲んでごらん。楽になるよ」。見るとコップ一杯のビールです。

私ははじめはお断りしましました。
「こんなにしんどいのにビールなんか飲める訳ない」って思っていたのです。でも結局はいただきました。

すると、どうでしょう。頭のてっぺんから足の先までス~っと毒が抜け、爽快感がありました。それを見ていた別の方が「あ~あ、アル中が始まった」と。

私にとって最初の「迎え酒」でした。

親の忠告を気にも留めず

一人暮らしをして2年半後、一身上の都合により商社を退職し大阪で家業をすることになりました。
帰ってからの私の酒量を見て父親が言いました。

「お前は福岡に居り続けてたら近いうちに飲み過ぎで死んでたな。ええ加減控えや」と。

そんな言葉は気にも留めず、夕食時に飲むビールくらいではたいして酔わないので、食後に近所のスナックへもよく通いました。

もう親の忠告など聞く耳を持たなかったのです。


結婚後、夫婦喧嘩も記憶がない

1989年結婚しました。披露宴での友人のスピーチでは「彼と言えば、まず最初に思いつくのは酒です」云々と私の本当の姿を紹介してくれました。妻もこの時点で、ある程度はしょうがないなと思っていたと推察します。

でも実際、家庭の中では夫婦お互いが本音をぶつけ合いますよね。だからよく言い合いになり、その時の私はすでにお酒が入っています。妻は真剣に意見を言い、私はそれに応酬するのですが、翌日・・・。

私には昨晩の記憶が全くないのです。こんなこと妻側から見ると許せるでしょうか。はじめのうちは大目に見てもそれが何度も続くと誰だって切れますよね。

「お酒さえ飲まなかったらいい人やのに」ってよく言われました。その言葉を聞きながら私は

「ふ~ん、そうでっか~」ってお酒を口にしながら相槌を打ち

「やめられへんもん、しゃあないわ」と開き直り、かつ辛抱を強要していました。

 

自分勝手だとは思いながらも飲み続けた

お酒にまつわる不祥事を数えあげたら切りがありません。警察にお世話になったこと、遠方へ車で家族サービス(妻と子供4人)に行ったものの無断で私一人だけタクシーで帰宅したこと・・・。

その他夜中に道端で寝てたなんてことは、妻にとっては「知ったことか」なのでしょう。飲みに行った私の帰宅を待っていたことなんて一度もなかったですから。

でも私は内心では

「こんな自分でも一人の夫であり、子供らからすれば世界でたった一人の父親なんだから、いずれは許されるだろう」と考えていました。

アルコール依存者の自分勝手で放漫な言い分です。

このころになると妻は「あの時のことは一生(文句)言い続けるからね」といい、また子供たちはほとんど口をききません。

それでも私は「これも自分の人生や」と開き直ってお酒を飲み続けていたのです。

禁酒をしようとしたことも・・・

そんな「呑兵衛」の私でしたが、幾度か禁酒のことを考え、また実戦したことはありました。
いろんな禁酒本を読みましたが最も印象深いのはアレン・カー著「禁酒セラピー」です。先に「禁煙セラピー」も買っていて、そのシリーズものです。

「読むだけで絶対やめられる」

と表紙に書いてあります。「ホンマかいな?」と思いましたが騙されたつもりで購入しました。
お酒に対する洗脳を解いてくれる良書でした。

「これでやめられる!」とその時は確信しました。実際、二週間ほど禁酒できていました。
そして酒仲間の友人にこの本を勧めたのですが友人は

「俺の楽しみがなくなるのは嫌や。酒で死んだら本望や。ほっといてくれ」と・・・。

 

お酒は最高!?

これが、”小さな親切、大きなお世話”かと思いました。その影響か私の禁酒生活も続かなくなりました。
心の片隅に禁酒したい気持ちはあっても、友人が言う通りお酒は

・人生で最高の楽しみであり、その為に働いているようなもの

・あの一口飲んだあとの体中にしみわたる心地よさ

・その酔いからくるしびれるような解放感

・時の流れさえも忘れられる夢のような感覚

・そして、知らぬ間に眠りにつける安心感・・・等々

最高ですよね!!(って、あくまで本人のみ。周囲のものは迷惑しているが)

 

禁酒はもうあきらめた

私の場合、周りの人から「飲むなとは言わないから、せめてビール2本にしておけば?」とよく言われました。
でも無理なんです。一杯目を飲めばもう一杯。そして三杯目と倒れるまで飲んでしまう。

いわゆる「お酒に飲まれてる」ってことでコントロールが効かないんです。

以前、お医者さんに言われました。「一日に飲んでもいいのは日本酒で一合まで」と・・・。
これって私にとっては生殺しです。だから、いっそ飲まないほうがいいと思って禁酒を試みましたが長続きせず、もうあきらめていました。

 

禁酒を決意した動機~キッカケ(私の場合)」へ続く。





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